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能面師 福山元誠の世界
能と能面
福山 元誠

能は仮面劇です。
中世の人々が作り出した真に日本的な歌劇です。
能は公家文化と武家文化が衝突して混沌とした時代が生んだ産物と言えます。
現代に生きて能面を打っている私は、能面を通じてその時代の心と息吹きを感じています。

一面の能面の内には、深いドラマが内在しています。
能の創成期活躍した能面作者に赤鶴一刀斎、石川龍右衛門、氷見宗忠、などがいます。
世阿弥が著した『猿楽談義』にその名がみられます。
彼らは世阿弥以前、すでに能面の原形とも言うべき、すばらしい面を創作しております。
赤鶴は鬼の面を、龍右衛門は女面、霊鬼の類は氷見が得意としたようです。
創成期以後の作家は中世の面を手本として写し、なにがしかの創意を加えることがその仕事となります。
どの面をとってみても何百人もの面打ちが一生懸命打った結果できあがったものですから、その面の背景にある歴史を思うと大変な厚みがあります。

面には能の曲が対応してあります。
その曲の表わさんとする面を打たなくてはなりません。
『羽衣』ならその曲のヒロインを神々しく解釈するか、初々しい乙女と解釈するかにより、其の曲に使う小面もキリリとしまった造形の面にしてもよし、ふっくらした乙女にしても良いのです。
ですが、小面の持っている表現の範囲はしっかり学ばねばなりません。
したがってお能の知識も学ばねば良い面は打てないことになります。
面を打ち始めると気のとおくなる様な遠くて長い道のりが先に見えてきます。

最近、喜多流の新作能『鶴』で掛けていただいた私の「増女」は定型のそれより少し白く仕上げました。
それが良い効果を生んで、良い舞台が勤まったと思っております。

現在、所沢・町田で能面教室を開いており、初心者の方々に面打ちの初歩より指導致しておりますが、様々な面が出来上がってきます。
一人一人の個性が面に表れるものです。ひのきの材の塊から少しづつ形を表わしていく作業は、上手下手は別にしてとても楽しいことです。
能面を始めて観る方はなんとなく薄気味悪く感ぜられるかもしれませんが、実際面を打ってみるとその薄気味悪さが実に味わいのある深い精神性を持ったものであることに気づかれるはずです。

世界には様々な仮面があります。
太古の昔から人は仮面をかぶり、自分以外の者になりすまして、舞ったり祈ったりしました。
日常の自分を離れて自分以外の者になるのはすごくスリリングな行為です。
生き身の自分は老いて死ぬべきものですが、仮面は決して死ぬことはありません。
老人が若い女の面をつければ、即ち若返ることができます。
仮面は、時間を超えた世界へ人を誘います。
また鬼となった人に豆を投げつけて家内安全を願うことはずいぶん昔から行われた民間行事です。
能の内にもそのような原初の民衆の願いや情念が込められています。
私は能面を打っていてそれを強く感じ、その呪術性を強く感じられる面を打ちたいと思っているのもそのためです。

エッセイ | 「能と能面」

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