日本語 / English
能面師 福山元誠の世界
能面随想
福山 元誠

能に『羽衣』という曲があります。
天女が地上に舞い降りて、浜辺に脱ぎ捨てた衣を漁夫に取られそうになり、天女の舞を舞って衣を返してもらい、再び天に舞い登るという曲です。
みなさん御存知だと思います。

この『羽衣』を舞うとき、観世流では「若女」の面を、宝生流では「増女」の面を、喜多流では「小面」の面を、金剛流では「孫次郎」という女面を着ける習わしです。
どの面も年若い女性ですが、少しずつ受ける印象が違います。

若女」は匂うばかりの美しい女性、「増女」は神々しい、りんとした女性、「小面」はうぶな乙女、「孫次郎」は成熟した女性と、それぞれ特徴があります。
当然、能の演出も着ける面によって、それぞれ微妙に違ってきます。
また面を打つときも(面を制作するときも)それぞれの特徴を打ち分けねばなりません。

さて、能面はひのき材から打ち出すのですが、はじめの荒彫りでその面の性格は決まってしまいます。
私がひのき材を前にしてから、実際にノミを持つまでに、随分時間を費やしてなかなか仕事に取りか かれないのは、出来上がりのイメージがはっきりしないと面を打ち上げることが出来ないからです。
そのかわり一度イメージが頭の中ではっきりしてくると、後は、そのイメージを追いかけて仕上げまで順調に進みます。

能面は600年もの長い年月をかけて出来上がってきた造形ですので、私個人が勝手にその造形を動かすことは出来ないのですが、しかし同じ「小面」でも「若女」に近い「小面」もあれば、「孫次郎」に近い「小面」も打ち出すことは自由なのです。
ですから、シテ方(主演者)の『羽衣』という曲に対する解釈と面打ちの意見がしっかり合ったとき、いい舞台ができるのだと思います。
『羽衣』以外の曲でももちろん同じです。

能はシンプルな演劇です。
能装束や能面、能道具がきわめて洗練された、象徴的な使われ方をされています。
余分なものはすべて切り捨てられて、物語の核心だけを提示しています。
それは能面の造形や彩色にもあらわれています。その感覚を自分のものにしなければ、能面は打つことができません。

その感覚とは、言葉にすれば、ワビであるとか、サビであるとか、禅味とか言う事ができますが、それを形であらわすのは一朝一夕にできるものではありません。
能面を打つたびにその奥深さに心打たれる思いがします。

エッセイ | 「能面随想」

^
ページトップ